新長谷寺・八町観音の骨伝導風景 - 霊験巡礼

新長谷寺・八町観音の骨伝導風景

 茨城県結城市から南下していくと、かつての稲作農業中心だった日本の風景そのものに似た光景と出会います。しかしよく見ると、都市化と共存した現代の風景であることが分かります。のどかな風景に重低音の排気音が響くこともあります。

          八町観音山門

 結城市から八千代町に入り、国道125号線に交差する手前を左折します。
 ここは八千代町といって、茨城県では筑波山の西側に位置します。緑豊かな農業地帯です。白菜とメロンの産地として定評があり、コシヒカリ作りも盛んになっています。

 関東平野のほぼ中央に位置するせいか、東京までは約60キロ、水戸まで約70キロという場所になります。但し鉄道路線はなく、どうしても交通手段は車に頼らなければならない地域だといえます。

 新長谷寺も、のどかな田園地帯の中にひっそりと建っています。
 一般的には新長谷寺より「八町観音様」の呼び名で親しまれ、安産・子育て・厄除・子授けの観音様として、古来から厚い信仰受けています。
 樹齢800年という銀杏の老樹に覆われた境内の、ほぼ中央に観音堂があります。銅葺朱塗り、四間四面の観音堂の本尊は、十一面観世音です。

 結城氏の始祖・結城朝光が関係します。
 寺伝では、貞永元年(1232)の開創で、本尊については伝説が残っています。

 それは、結城朝光が鎌倉から結城に所領を許された時、観音像を持ち帰ったというものです。その観音像は名仏師・運慶よって彫られたものでした。

 朝光は最初、結城の館内に観音堂を設けました。観音像を安置し、手厚く信仰していました。そんなある晩のことです。枕元に観音菩薩が現れ、彼に命じたのです。
朝光と菩薩との宿縁を伝えた上で、子孫繁栄のために、どこかの聖地に奉りなさいというものです。

 そこで朝光は、景勝の聖地を占い、現在の八千代町八町に、勇壮な寺院を開創したのです。奈良、鎌倉の長谷寺の観音様の末木をもって運慶作と伝えられる観音菩薩像を奉り、新長谷寺(八町観音)となったというものです。
 今でも新長谷寺の墓地には、朝光の分骨されたお墓があります。

 この十一面観世音は手に錫杖もったもので、長谷寺型といわれる尊像です。奈良、鎌倉の長谷寺に次いで、日本三大長谷寺に数えられる所以です。
 かつては、地名の発祥となった八町歩を有し、21ヵ寺の本寺として堂塔伽藍を有していた巨大な寺院でした。しかし二度の災火(応永の乱と鬼怒川合戦)で本尊は無事だったものの、ほとんどを失うこととなってしまいました。

          新長谷寺弘法大師


 現在では観音堂、鐘楼堂、宝篋印塔の他に、念願の平成の大本堂も再建されています。関東八十八ヵ所霊場になってから完成した本堂だけに、感慨深いものがあります。

 遠方から望む八町観音は、古代鬼怒川の流れの辺りに建ち、今でも鎌倉時代の面影を消し去っていません。

     【ご詠歌】
           みほとけの めぐみあらたか しんはっせ
               いちょうだいじゅの よよにかがやく

   
 こんな霊験あらたかな寺院への巡礼とともに、今の日本の風景を聞きます。
 耳だけでは感知できないものを骨でも聴きましょう。

 そんなとき役立つのが骨伝導の技術です。特許技術が使われていることで、霊験とともに伝わってくるのが分かります。

 重低音の音だけでなく田園地帯と霊験ある観音様、弘法大師空海の声を骨で聴いてください。

          》》 今回使用の骨伝導機器「きくちゃん」
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