世田谷城址への霊験巡礼 - 霊験巡礼

世田谷城址への霊験巡礼

        世田谷城址

 世田谷線沿いの閑静な住宅地に世田谷城址公園はあります。

 三軒茶屋と下高井戸を結ぶ東急世田谷線の中心駅が「上町駅」です。ここで下車し、北側へと小さな商店街を歩いていきます。すぐに住宅街へと街は変貌します。

 交差点の信号があり、左前方に木々茂った小高い丘が見えます。ここが「世田谷城址公園」という小さな公園で、まさに城跡なのです。

 世田谷城址公園には、空堀と土塁の痕跡がわずかに残っています。
 しかし多くは崩落防止用の石垣で囲まれているため、石垣の城のような雰囲気になっています。

 ここに吉良氏の城でした。
 「忠臣蔵」で有名は吉良上野介と祖を同じくする名門の家系です関東に下向した武蔵吉良氏は、関東管領である上杉氏に次ぐ、関東第三の名門でした。その証拠に、関東近辺の大名としては異例の「従四位下」という高い官位を誇っていました。「従四位下」といえば、幕府の将軍(征夷大将軍)に任官されるほどの官位です。

 しかし北条氏の傘下に入ったことで、吉良氏の悲劇は起こりました。
 豊臣秀吉の小田原の役では闘わずして開城逃亡し、世田谷城は廃城となってしまいました。


「世田谷区世田谷教育委員会」設置の現地案内板より以下引用

世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。14世紀後半に吉良治家が居住したのに始まると伝える。
吉良氏は清和現時・足利氏の氏族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結んだ。北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3年(1530)には世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に復した。
この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正18年(1590)、豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。
世田谷城の濠・土塁の構造は天文6年(1537)の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、16世紀前半に防御の為、大改築がなされた事が窺える。

 霊験あらたかな地を巡礼する旅も、身近な城跡を加えようかと考えました。
 弘法大師の霊力・法力だけでなく、歴史に埋もれた城跡も不思議なパワーがありました。このパワーは音でない音で届いてきます。

 こんなときやはり便利なのが骨伝導です。

 いつも聴いている自分の声は、気導音と骨導音がミックスされています。

 では、「音の振動を直接伝える」とはどういうことでしょう?
 なじみのないコトバで表現すると、「外耳や中耳を経由することなく、内耳のうずまき管に直接音の振動を伝え、リンパ液中に浮かぶ聴覚神経が揺れることで音が聴こえる」となります。
 難しいしくみはともかくとして、骨伝導で音や声をひろうということは、骨に伝わってくる声帯の振動を集めればよいことになります。これを高感度な振動センサー素子で集め、電気的な音声信号に変換することで、誰にでも骨伝導で「聴く」ことが可能になるのです。

 こんな骨伝導とともに霊験ある史跡を巡るのは実に快適です。

                ⇒ 骨伝導専門

 霊験巡礼の旅は終わりません。
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